気まぐれ日記 2024年8月
2024年7月はここ
8月1日(木)「今日は月初ルーチン・・・の風さん」
ぐったりしていた7月が終わって、8月になった。元気を出さねば。ストレッチはフルメニュー。
今日は月初ルーチンがあるので、とりあえず朝食はトースト。月2回のサンセベリアへの施肥もおこなった。
気合で月初ルーチンをこなした。鏡と配管の掃除、空気清浄機の掃除そしてレンジフードの掃除。な〜んだ、みんな掃除か(笑)。レンジフードの掃除では2か月に1回のフィルターの交換をした。もちろんガス台の掃除は毎回やっている。
ここまで気合でやったのだが、やはり疲労が出て、ダウン。昼食を抜いて、昨日と同じようにサラちゃんとリビングで横になっていた。
約2時間の昼寝をしてしまい、これではいけないと、とりあえずコーヒータイムにしてから、リビングで読書を始めた。読書も集中力が必要なので、気合が入らないとできない。8月になったので、心を入れ替えて読書に取り組んだ。けっこう読めた。
夕方からTOEICの勉強を始めた。たいした量ではないのに、一つの単元が終わらない。そのうち、屋外作業で刺さったとげが気になり出して、虫眼鏡で見ながら毛抜きでとろうとしたが、ダメだった。昨日も挑戦して途中で断念していたとげだ。化膿してないのは幸いだ。しかし、気になる。
TOEICの勉強の続きは、晩御飯の後にした。ワイフから「今日は何も食べてないんじゃない?」と心配された。老人は小食でもいいのだ。
明日も屋内作業を予定しているが、猛暑だからではない。今日も明日も教室があって、裏の土地には生徒さんのクルマがとまっているからだ。とは言え、名古屋より2〜3℃低い当地でも、このところ日中の最高気温が35℃前後になっている。熱中症には気をつけなければならない。
8月2日(金)「風呂掃除・・・の風さん」
先月のふろの日(26日)にやる予定だった風呂釜掃除をした。今年も猛暑なので、風呂はほとんど焚かず、シャワーで済ませているが、いちおう決めたスケジュールなので、風呂釜掃除をした。今日は風呂釜掃除よりも、浴室全体の掃除に重点があった。
多忙な日々が続いていて、風呂掃除はワイフに任せっきりだった。どこの家庭も同じだろうが、ナマケモノの旦那は、やり始めるとすぐ凝り性が出る。風呂掃除も、その一つだ。
昔の人間なので、私の家に内風呂がついたのは、中学2年の時からだ。それまでは銭湯通いである。父の官舎が格が上がって内風呂がついたのだ。大学に入学した時、初めて新築の家を借りた。その風呂がきれいでありがたく、私はそれから風呂掃除を自主的に始めた。
なので、風呂掃除には年季が入っている。恐らく死ぬまで自主的に風呂掃除をするだろう。内風呂のありがたさを知っているからだ。
今日の風呂掃除は徹底しておこなった。満足した(笑)。
日中はなるべくサラちゃんと一緒に1階にいて稼働させるエアコンの台数を節約している。昼食後、いつものように、サラちゃんの横で昼寝。
まだ気合いは十分ではないが、少しずつ、たまっている仕事を片付け始めた。書斎の机上のディスプレイの1台が不調なので、故障なのか確かめた。私は単なる接続の問題だとにらんでいたので、接続を変えてみて、画面がどうなるか確かめたのだ。すると、正常に表示した。やはり接続の問題だった。もしディスプレイが故障となると、自分では修理できそうもないので、買い替えとなる。そうでなくても出費が続いているのに、またかと恐れていたが、そうならなくて命びろいした(大げさな)。
明日やることをたくさんメモして就寝モードに入った。昨夜は窓を開けたまま、エアコンもつけて寝たので、窓はしっかり閉めた。ボケ老人はやることが恐ろしい。
8月3日(土)「草刈りが一段落・・・の風さん」
さあ、今日もやるぞ、と屋外作業に出動。上から、麦わら帽子、手拭いでドジョウすくい被り、サングラス、空調服(保冷剤装着)、新品作業ズボンにこれまた新品作業靴。蚊取線香は草刈り機に装着した。
前回の残り半分を刈り始めた。この部分は隣家のカーポートと接しているため、刈った草葉が飛び散らないように気を遣う。我が家の駐車スペースの反対側なので、草刈りの優先順位が低く、いつも刈り残していた。密集しているところを電動草刈り機で刈り込むと、バッタやカマキリ、カエルにトカゲまで飛び出してくる。このところずっと雨が降っていないので、雑草も枯れ始めているが、生き物たちには刈り残されている場所がオアシスなのだ。
面積的には土地の半分以下なのだが、バッテリー1個ですべて刈ることができなかった。ここで水分補給の休憩。
再開後は、片付けの前に、強力なカビ取りスプレイをあちこちに噴霧した。これまで効果があった場所は分かっているので、それ以外を狙って先ずテストだ。効果は後に判明する。効果ありとなったら、周辺すべてに噴霧するという作戦だ。
続けて、隣家のカーポートと接している部分に除草剤を散布した。そして、後片付け。
今日の屋外作業は久しぶりに気合が入っていた感じがする。昼食のラーメンが美味かった。
認知症の進行を調べるJ-TRCのオンラインテストがやや遅れていたので、気合が入っているうちに実施した。私の不得意な記憶テストだが、初めてまあまあできたという印象。結果はすぐには出ないが楽しみだ。
Amazonに発注した商品が2つ届いた。1つは古本で、開封したら確かに古本だった(笑)。気になる内容なので、あとで読んでみよう。
明日は屋外作業は予定していない。屋内作業も少しだけだ。たまっている雑務をたくさんメモして就寝モードに入った。
8月4日(日)「とつぜん北海道行きを検討・・・の風さん」
久しぶりに屋外作業を予定していないので、たまっている雑務を一気にこなそうと気合で起床。ストレッチもフルメニュー。
10月のイベントでパネルディスカッションがあり、私はコーディネーターを務めるのだが、重要なパネラーの一人にまだお目にかかったことがないので、ご挨拶に行こうと考えている。昨夜メールしたら今朝電話があり、私の提案を受け入れてくださった。来月、大阪でお会いすることになった。
リビングのシャンデリアのLED化の検討のため、2回目の回路調査を行った。これはちょっと厄介な回路になっている可能性があった。再調査が必要だ。
日中は相変わらず暑いので、リビングで読書をしたが、すぐ疲れて昼寝してしまった。
これではいけないと、書斎へ行き、気になる資料を調べていたら、蔵書の中から見つかった。ネット上にもないかと探したら、同じものがデータで見つかったので、自分でデータ化する手間が省けた。何となく元気が出てきたので、この資料調査の出発点になっている人に、やはり会いたくなった。札幌在住である。頼りにしているエージェントが来月北海道へ行くので、その時合流して、一緒に会いたいと思った。そこで、格安航空券が入手できないか、ネットで調べたら、そこそこの料金のものが見つかった。あとは、関係者とスケジュール的に合うかどうかだ。メールで問い合わせたが、既に夜も更けているので、この続きは明日だ。
8月5日(月)「亀がエサを食べない・・・の風さん」
ちょっと気になることが。リビングの出窓で亀を飼っている。もう30年近いお婆さん亀だ。今朝ワイフが上げたエサを食べていない。動いているので、普通ならあっという間に食べてしまう。水面に浮いているエサが沈み出した。もしかして、熱中症? なるべく日中はエアコンを使っているが、日が当たる出窓だ。ワイフが飾ってあるトールペインティングの作品を日よけにし、私は充電式のミニ扇風機を持ってきて、水槽の上から風が少し流れ込むようにしてみた。
今日はアメリカの影響で日経平均株価が大暴落した。貧乏人のパニック売りが原因だろう。こうやって豊富な資金を持つ投資家を儲けさせるのだ。
投資家にとって株ほどリスクの少ない投資はない。ただし、利ザヤはそれほど大きくない。しかし、今日のように大きな変動があると(上昇でも下落でもどちらでもいい)、一気に利益が上がる可能性が出る。今日の例で言えば、十分に下がった優良株を買うのである。優良企業は永続するため成長を続けるので、長期的に株価は上がって行く。それを待てばよいのだ。今日くらい下がってしまえば、買ったあと待つ時間は短くなる。逆も真なり、だ。異常に上昇したら、一気に売って利益を確保し、次に下がるまで待つのだが、異常な上昇ほど戻るのは早いから、戻ったところで買えば、短期間で儲けたことになる。こういった知識はビジネススクールで学んだ。有名なバフェットの投資の本を読んでも同じことが書いてある。潤沢な資金を持っている人は、ひたすら儲けることができる。凡人はパニックになって逆の行動をし、資金を失い相場から退場する。
札幌在住の人と会う件は、先方はいつでもOKとのことだったが、エージェントの都合が未定である。格安航空券を手配するため、この確認を急がねばならない。
出窓の亀に大きな変化はなく、動いているが、晩御飯のエサも食べない。明日も熱中症対策は続けよう。
8月6日(火)「日経平均株価・・・の風さん」
昨日に続いて気合で起床。ストレッチもフルメニューだ。
昨日ワイフから「HDDが認識されなくなり、録画ができない」という話があり、「Could it be tomorrow? OK.」ということで、今日調べることになっていた。
こういう作業はきちんとやるのが私のやり方で、周辺の片付けをしながら、清掃もして、作業環境を先に作る。
HDDは外付けでUSB接続である。エラーメッセージにしたがって、USBの抜き差しをしてみた。効果なし。次もエラーメッセージのガイドで、TV側からHDDのチェックをおこなったところ「OK」と出た。エラーメッセージでは、他にも「電源のOFF 」が指示されていたので、スイッチだけでなく、コンセントも抜くという方法を試したところ、正常に戻った。以前にもTV本体の異常があり、最終的にコンセントから電源プラグを抜いて正常になることがあった。TVとは言え、PCと同じで、ソフトが占める部分の異常には、最終的にこの電源OFFが必要になるようだ。
相変わらず亀はエサを食べない。そういったこともあり、午前中は、リビングで読書をして過ごした。
午後になり、あまりにも執筆から長期間離れているので、児童書の原稿に復帰した。途中までかなりのレベルで完成していたはずだが、最初から読み始めると、あちこち不具合個所が見つかる。勘を戻す意味で、それらを修正しながら、読み進めていった。
北海道行きの検討を今日もしたが、エージェントと電話で話すと、スケジュールがかなり厄介だった。札幌在住の人は、何とでも対応できるとのことだったが、ポイントはやはり私がダイナミックな行動ができるかにかかっていた。明日も検討を継続する。
日経平均株価が早くも急反発で、著しく上昇した。昨日はパニック売り、今日はパニック買いだろう。気の毒な人たちがたくさん発生し、投資家はわずか1日で莫大な利益を上げたと思われる。要するに、日経平均株価は、一般的な庶民のふところ具合とリンクしていないのである。
夜になっても亀の状況に変化はない。最近比較的近所に犬や猫以外のペットも診療する動物病院がオープンしたので、もし病気なら診てもらわなければならない。
8月7日(水)「人生2度目がふたつ・・・の風さん」
昨日、気まぐれ日記を書き終えたあと、ふとしたきっかけから、日記の日付と内容がおかしいことに気が付いた。ここ数日間で、明らかに1日が消滅しているが、内容的には前後の日付の中に含まれている。明け方まで仕事をするのが普通だった以前にはよくあった。しかし、今は違う。日付変更線をまたぐ前に就寝モードに入っている。寝坊もしていない。それなのに・・・。
原因がボケだとはすぐわかったが、その根本原因を解決するのはむずかしい。とりあえず、昨日以前の日記を再編集して、消滅した1日分を復活させた(笑)。
そろそろ行事が詰まってくるので、朝食後、ルーチンをこなしながら hairdye を強行した。
昼食もトーストで済ませた。
北海道行きの検討を今日もしたが、なかなか妙案が浮かばない。モチベーションが下がって来た。そこへ、新たな情報が飛び込んできたことで、モチベーションが再上昇した。まるでここ数日間の日経平均株価だ。しかし、結局、こういったモチベーションが上がらないと、アクティブに行動できないのは、人間の自然な姿のような気がする。そして、基礎的な体力が衰えてしまうと、気力に相当するモチベーション(生きる意欲)がなくなってまもなくお陀仏になるのだろう。死にたくないとあがきながら死んでいくよりはマシかもしれない。
夕方からワイフと出かけ、ショッピングモールで長女と合流した。長女の目的の一つ、某回転寿司で晩御飯を食べた。回転寿司は、私にとって人生2度目である。その後、ガチャを多数設置してあるゾーンへ行き、私の欲しいガチャをした。このガチャというものも、自分でやるのは、私にとって人生2度目である。きわめて庶民的な回転寿司やガチャをそれぞれ人生2度目に経験したと書くと、私を贅沢野郎と思うムキもあるかもしれないが、意外と俗世間からは浮いた人なのだ。
帰宅してから、探し物で汗をかいた。10年くらい前に長女からプレゼントでもらったショルダーバッグが見つからないのである。多用していなかったので、急に言われても場所がわからない。あちこち必死に探したが見つからなかった。不思議だ。
亀がようやくエサを食べ始めた。このまま元気になってほしい。
8月8日(木)「北海道旅行が成立・・・の風さん」
北海道行きのスケジュール検討は、眠っている間も続いていたらしい。早々と目覚めた頭脳がしたことは、この検討の続きだった(笑)。
自分で好きなように組めるスケジュールではない。やりたいことを一つひとつ外していき、目的だけ達成させることを考えた。それが成立するかは、相手があっての話だ。朝食後、3人の関係者へ電話をかけながら、新しいプランの成立性を確かめた。
理論的に成立するにしても、リーズナブルな航空チケットやホテルが確保できなければ、単なるわがまま計画になってしまう。郵便の投函と昼食をはさんで、それらの予約に取り組んだ。ずいぶんと時間がかかったが、それぞれ別会社で往復の航空チケットと3泊分のホテルの予約ができた。目的の3か所での計画が組み込めたことになる。
そうこうしている間に、また自然災害が発生した。南海トラフ地震だった。ついに発生したのか。もういつ発生してもおかしくないと言われて久しい。震源地によっては、当地も大きな被害が発生する。今回は西の方だったので、被害はなかったが、今後の発生具合によっては何が起こるかわからない。
元日の能登半島地震から、最近連発する豪雨、そして酷暑と、自然災害が続いていて、国民は気持ち的にかなり慣れてきているので、パニックにはならないと思うが、物理的な被害は避けられないので、本当に心配だ。地震に関して言えば、豪雨や酷暑に比べて、その根本的な予知対策はむずかしい。日本の地底の徹底調査と多数のセンサーの設置、そしてシミュレーション技術が必要だが、特に前者の2つが大変だ。今後も避けられない地震なので、長期的な計画を国として立案し実施してもらいたいが、期待できない。残念だ。
北海道旅行計画の基本が成立したので、3日目のオプションをやっと検討することにした。個人的な目的の追加である。
8月9日(金)「北海道旅行のスケジュールがほぼ確定・・・の風さん」
熱中症ではないと思うが、イマイチ元気が出ない。朝からめまいがある最低の日から、午後にはもうダウンしてしまう日まで色々だ。熱中症でないなら、老人特有のフレイルか(笑)。
フレイルは英語の勉強をしている過程で「frail(もろい、か弱い、虚弱な)」という単語で知っていた。「fragile(こわれやすい)」と語感が似ているな。日本語でフレイルと言っているのは「frailty」で名詞形の日本語訳だ。
ま、とにかく、英語の勉強で気を紛らしておこう(^_^;)。
今日はお盆の恒例行事「施餓鬼(施食会)」だ。新型コロナのために、精進料理をいただく楽しみが途絶えているが、こういった伝統は守りたい。
ワイフと出かけた。最初に墓参をした。ネックファンをしていても暑かった。墓石の周りに雑草がなかったのは猛暑のせいだろう。墓石も黄砂で汚れてはいなかった。本堂での読経は、初めて冷房された中でおこなわれていた。お坊さんも参拝者も本堂で熱中症で倒れたのでは洒落にもならない。
帰宅したら、留守番の長女はライブカメラで私たちの様子を見ていたという。そう。このお寺では本堂内や池のある庭をライブカメラで発信していて、各種行事はあとでYouTubeに上がる。
空調服を着て歩いて投函に行ってきたが、保冷剤を装着しないと効果は少ないのを実感した。
昼食後、リビングでダウンした。
北海道旅行最後の予約は、JRのレール&レンタカーにするつもりだったが、レンタカーの返却場所が異なると「乗り捨て料金」がなんと11000円もかかることが分かり(さらに特急に乗るのでその料金が1万円近くプラスされる)、すべてレンタカーにすることにした。
3日目のオプションも成立することがわかったので、旅行の楽しみが増えた。
8月10日(土)「寝坊の効果は?・・・の風さん」
試しに寝坊してみた。はたして元気が出るか。
それよりも、目が覚めて起床するまでに、10月のパネルディスカッションのコーディネーター役としてのアイデアがいくつか浮かんだ。これは大きい。モチベーションが一気に上がった。
ストレッチはフルメニュー。朝食にトーストを食べ、歩いて投函にも行ってきた。投函はこれで3日連続だ。気合が出てきたぞ。
ところが、今日はないかもと思っていた昼食があった。長女が滞在しているので、トール教室が終わったばかりのワイフが、気合で焼きそばを作ったからだ(笑)。
昼食を摂ると、その後ぐったりしてしまうことが続いている。今日も、そうなった。
とりあえず書斎へ行ったが、椅子に座ってぐったり。全身が十分に冷えたところで、暑い寝室へ行き、ベッドでぐったり。
汗が出る直前に書斎に戻った。
元気が戻ったので、24日の幕末史研究会の移動スケジュールが組めるか、詳細に検討した。現地まで品川から往復するのが最も便利だとわかったが、片道1時間くらいかかる。新幹線の割引も手遅れ。費用はかかるが、これも来月のパネルディスカッションを成功するために必要だ。北海道旅行と同じ。
長女は今夜帰るので、外で食事し、名古屋まで送った。今回の最大の成果は、サラちゃんの抱っこ寸前までいったことか。
まだまだやることは多い。頑張らねば。
あ、そうそう。今朝の意図的な寝坊の効果はあったようななかったような(笑)。
8月11日(日)「あれもこれも中止・・・の風さん」
今日も寝坊してみた。状況は改善されるだろうか。
ストレッチはフルメニューでこなしたが、寝坊の影響で、朝食のトーストはブランチになった(昼食はとりあえず中止)。
午前中、GSへ行こうと思っていたが、時間がなくなったので中止。
台風が太平洋を西へ進んでいて明日あたり東北地方に上陸する予報だ。奇妙なコースだが、こういったおかしなことは今後いくらでも起きるのではないか。たとえば、日本近海で熱帯低気圧が発生し、台風に発達してすぐ日本列島に上陸、とか。・・・と思っていたら、また変な熱帯低気圧が発生し、日本に向かってまっすぐ北上しそうだ。先行する台風に追いつくかも。やれやれ。自然災害のオンパレードになるかも。恐ろしい。
そんな恐怖を尻目に私は元気が出ないまま、夕方になってきた。
怒り狂った私は、レギュラーコーヒーを続けて3杯飲むうちに、いくらか元気が出てきたので、書斎に入り、とにかく執筆を強行再開した。いくら何でも、これを進めなければ、この先、大変なことになる。
晩御飯後、1か月後の横浜行きのスケジュールを再検討した。昨今の状況をかんがみ、前泊をやめることにした。大阪行きも日帰りに決めた。
8月12日(月)「今日は棚経・・・の風さん」
相変わらず雨は降らない。名古屋より2〜3℃低いとは言え、日中の最高気温は35℃前後に上昇している。台風は当地には寄らないコースが予想されているので、まだしばらくこの天候が続きそうだ。
今日は毎年恒例の棚経の日だ。住職さんが檀家を回って読経してくれる。家でなく墓地でおこなう檀家もあるそうで、住職さんは大変だ。今年は母の十三回忌もあるので、あれこれと相談しておいたが、こういった法事が、今後どのように続けられるか、元気なうちに考えておかねばならない。
住職さんは予定よりも遅く午後1時近くに来宅した。終わってから、昼食のためにお寺に戻ることもなく、次の檀家へ向かうのだと言う。
昼食後、キャメロンでGSへ行き、満タン給油と洗車をしてきた。駐車する前にカーポートに繁茂したつる草を竹ぼうきで払ったが、支柱などは枯れたつる草でひどく汚れている。屋内外の作業は膨大にあり、とてもやりきれない。かと言って、その多くを業者に頼むだけの金銭的な余裕もなくなってしまった。あらゆることをセーブして、出費もおさえるフェーズに入らなければならないのだろうが、煩悩はまだまだやりたいことを次々に思い付いてしまう。
今日は中断していた読書とTOEICの勉強を少しした。やはり無理し過ぎているのだろうか。
明日は義父の盆供養のため、早朝から実家へ向かう。そのため、いつもより1時間以上早く就寝モードに入った。すんなり眠りに落ちることができたのは、疲れていたのか、それともフレイルの当然の結果なのか、答えにたどり着くまで思考すらできなかった。
8月13日(火)「お盆の行事・・・の風さん」
目覚ましで5時半に目が覚めたが、体を起こしたら少しふらつくので、目覚ましを5時50分に再セットし、もう少し眠ることにした。
朝食は抜きにして6時半ころワイフと出発。義父のお寺での盆供養は墓地でおこなわれるので、8時開始と早い。それでも、現地に着くと既に日射も強く、危険な暑さが始まっていた。今回の盆供養は永代供養をしている人たちのためである。ここは浄土真宗なので、施餓鬼はやらない。義母と義妹夫婦、あわせて5人が参列した。
終わってから実家に行き、しばらくゆっくりし(その間に、1か月後の新幹線の予約をした)、やがて用事のある義妹夫婦は帰った。その後、昼食を摂るためいつも行くファミレスへ向かった。メニューが変わっていた。いつも食べるものと最も良く似ている料理を選んだのだが、同じものを頼んだ義母と二人とも落胆した。同じでないにしても、これは質が悪すぎる。
義母を実家へ送り、そのまま家路についた。
定例のまとめ買いの日だったので、ドラッグストアに寄って、サラちゃんのおやつなどを購入してから帰宅した。
お盆である。日没前に墓参に行った。先週も行ったばかりなので、お墓はきれいだが、供花は枯れていた。お迎えの行事を終えた。
地元密着型の事業(たとえば農業のような)をしていない我が家のような家では、継承者がいないので、こういった墓地の手入れを長く続けて行くことはむずかしい。亡父が今の墓を作るとき、私は「死ぬまでここにいるから」と約束したのだが、その先までは保証できなかった。それでも、亡父は安心して墓を作った。亡父は長男ではなかったので、ここが新たな墓所となったのだ。何とか先へつなげていきたいものだ。
通知のハガキが届いて、今月のTOEICの試験会場が判明した。名古屋市内だった。それに特化した準備をしているが、なかなか難しい問題で、やばいと感じている。
8月14日(水)「庭木の水やり・・・の風さん」
お盆の真っただ中、ワイフの趣味の教室は開催とのことで、駅まで送った。出席する他のメンバーももちろん先生も、スケジュール的に問題ないというのが驚きだ。ほとんど同年代で家庭環境も似ているはず。
帰宅してすぐ、今日のミッションに取り組んだ。もういつから雨が降っていないのかわからない。庭木が弱っていると昨日ワイフから聞いた。たしかに、裏の土地の雑草ですら枯れ始めている様子だ。台風がいくつも近付いていたが、どれも当地に雨はもたらしそうもないので、水やりをすることを決めたのだ。
いちおう完全武装だ。保冷剤入りの空調服を着こんだ。いつもの草刈りと違うのは、蚊取線香は作業ズボンの大腿部のポケットにセットしたこと。そして、作業靴ではなく、長靴を履いたことだ。延長ホースはかなりの長さがあるので、住居の周囲を半周できる。庭木から玄関などの植木すべてに人工のシャワーをプレゼントした。
終わってから朝食のトースト。それから書斎へ行き、1か月後の大阪往復の新幹線のチケットを確保した。
昼食後はいつも満腹でダウンするので、今日は昼食をパスしたのだが、それでも午後は昼寝してしまった(笑)。やれやれ。やっぱりフレイルか。
夕方目覚めて、リビングの照明の3回目の分解調査をした。自分でLEDに改造できるかどうかの調査は終わっていて、かなり困難という結論だった。それなら、別のLED照明を交換可能か、天井の配線を確認するのが今回の目的だった。結果は、こちらもかなり大変そうだとわかった。しかし、現在の照明器具を改造するよりもまだ楽なので、LED照明器具の選定に着手することにした。
ワイフを迎えに行き、その後、LED照明器具の選定に取り掛かった。以前から目をつけていた機種があり、そのバリエーションの中から選ぶことにした。
結局、就寝前までその選定に時間がかかってしまった。やれやれ。何をやるにしても遅い。これはフレイルではなく、本来の属性だ。
8月15日(木)「平和とは・・・の風さん」
1日に何度かスマホで「雨雲接近」が報じられるが、その雨雲は別方向へ行ってしまい、依然として雨は降らない。
昨日に続いて、庭の水やりのために出動した。草刈り同様に要領がわかっているので、作業は早い早い。途中で郵便屋さんが速達を届けに来てくれた。
作業後、トーストで朝食。その後、キャメロンで外出。
役場で印鑑証明を1通もらい、ホームセンターへ行って買い物と品物のチェックをして帰宅した。
正午の黙とうに間に合った。政治家は歴史に学ぶとか教訓を生かしてと発言するが、真剣さは感じられない。いざとなれば、国民が戦争に立ち上がってしまう。それを制止するのが政治家のはずだが、愚かなSNSやマスコミと同様に、国民を煽るだろう。時間が経過した後のことより、目の前のことに対して判断してしまうのが普通の人の属性だ。政治家は長期的な視点が必要だが、今の民主主義にはそれが欠落している。正午の黙とうは、戦争で死んだ人たちへの鎮魂の気持ちでおこなうが、平和を約束できないむなしさがある。
昼食後、歩いて投函に行ってきた。帰りに、今朝の水やりの最後の後片付けをした。それで、ホッとしたのだが、足を蚊に食われた(笑)。完全武装でないとすぐこれだ。
昨日に続いて、午後はリビングでダウン。朝から頑張ったことは頑張ったが、そして、外は猛暑だが、やはり体力不足が気になる。
Amazonで3点のまとめ発注。これらは、リビングの照明のLED化で使われる。工事は来月になるだろう。
夕方からワイフと墓参に行った。お盆行事最後の「送り」である。日常が単調に続くのが平和だとあらためて思う。
8月16日(金)「懸命に生きるだけ・・・の風さん」
台風7号が変な動きを見せているが、その影響を受けない地域は酷暑が続いている。当地もそう。しかし、いくら名古屋より2~3℃低い当地でも、日中の最高気温は35℃前後になる。一昨日、昨日と2日連続で庭木の水やりをしたので、今日はとりあえずやめておく。突然の雷雨でもいいからそろそろ降ってほしい。
屋外作業もないし、外出もないので、キャメロンもカーポートの中でお休み。午前中はいいが、午後から日射が当たるので、これはけっこうきつい。キャメロンに乗るようになってもう11〜12年くらいになるか。その前のミッシェルより長くなったかもしれない。ミッシェルという名前は、女優のミッシェル・ファイファーからつけた。キャメロンに乗り換えたら、女優のキャメロン・ディアスにちなんでつけたのですか、と聞かれることがあったが、そうではない。クルマの外観から語感がピッタリすると思って、キャメロンにしたのだ。スパルタンな外観が気に入っている。
今日こそ執筆に注力しようと、午後だけで3杯のコーヒーを飲んだ。どうやらカフェインの注入がないと、私は覚醒しないらしい。中毒とも言うらしいが(笑)。
夜、知人と長電話した。深刻な話題で、自分の力不足をまた痛感した。力不足でも、懸命に取り組んでいかねばならない。しかし、こんな状態がいつまで続くのか。振り返れば自分の人生はこういった生き方の連続だった。懸命に取り組むというプロセスを続けられたことで、後悔は少ない。だから、これからも死ぬまでこれが続くのかもしれない。
仏壇周りのお盆セットを片付ける時間がなくなってしまった。
8月17日(土)「今日もコーヒーの力をかりて・・・の風さん」
朝のフルストレッチの後、仏壇周りのお盆セットを片付けた。10月に母の十三回忌があるので、そのとき、また近い形になるかも。
昨夜の知人との電話の結論として、月末のスケジュールが一つ増えた。迷っていたホテルも1件予約追加し、関連するメールも送った。
Amazonに発注してあった小物が2つ届いた。来月の工事で使う。私のオモチャみたいなものだ(笑)。しかし、こうやってどんどん忙しくしている面もあるな。
今日も、午後は3杯のコーヒーで必死に執筆を続けた。単にストーリーを考えているだけなのだが、やはり仕事は遅い。ビジネススクールで実感したことの一つに、本当に仕事の速い人はいて、彼らがどうしてそんなにテキパキと課題をこなせるのか、結局、最後までわからなかった。自分ののろさを再確認しただけだった。そういったことを、今も、毎日のように思う。一つ一つ確実にこなしていく技術屋タイプのせいで遅いのだろうか。カッコつければ、研究者タイプということになるのだが。自虐的に言うなら頑固か偏屈だろう(笑)。
小説のストーリー作りが順調に進まなかったので、それができたらやろうと思っていたことができないまま、今日も就寝モードに入る時刻になってしまった。時間がもったいないので、シャワーを浴びるだけで入浴を終える。これくらいなら早くできる。知的なことが遅いのだ。知能レベルが低いのか。やれやれ。
8月18日(日)「煩悩の塊・・・の風さん」
ワイフは実家へ出かけた。義父が亡くなってやや認知症の進んだ義母が心配だ。自分の母親が最後は重度の認知症だったので、状況はかなり理解できる。認知症本人の苦しみを理解して初めて、さまざまな症状を理解できる一歩となる。どんなに異常に見えても、本人が苦しんでいるからそうなるのだと思うことがたいせつなのだ。
以前は、もし義父が先に死んで義母が一人きりになったら、我が家で面倒をみようと思っていた。それができる状況になりつつあったし、自分でもそれを心掛けていた。我が家の屋内外の整理もそれを意識したものだった。最大の課題は、義母の部屋を一つ確保することだが、当然考えていた。
ところが、現在、義母は我が家へ遊びに来ることすらしようとしない。あれこれと理由を並べて、家から出ようとしないのだ(近くへの買い物や散歩は問題ない)。その姿は、生前の母とよく似ている。だから、最後はこちらから出かけないと、母には会えなかった。今でも、来ようとしなかった母の頭の中に占めていた不安や苦しみが何だったのか、具体的にはわからない。しかし、認知症ゆえの苦しみがあったから、我が家へ来ようとしなかったことは間違いない。今、義母の様子を見ていると、かつての母と重なる。
兄貴から電話があった。福島県在住で、10歳上の兄だ。話題は自然と健康の話になる。10月に母の十三回忌を予定しているが、そういったことに参列できるのは、今回が最後だろうと言っている。
人生の終末期がゆっくりと訪れるなら、時間をかけて準備もできるが、いきなりではむずかしい。だから、元気なうちに、早め早めに手を打って行くのがよいのだろう。しかし、私のような煩悩の塊となるとそれがむずかしい。
今日も、仕事はのろのろとしか進まないのに、先の予定をどんどん埋めていく。
8月19日(月)「激しいめまい・・・の風さん」
今日は2か月くらい前に予約してあった健診(脳ドック含む)だった。昨夜までに準備もほぼできていた。ところが、目覚ましでセットした起床時刻に体を起こしたら、ひどいめまいである。やばいと思って、15分セットを遅らせて、もう一度、ベッドに横になった。ところが、15分後も、めまいはひどいままだった。
人生で最初の激しいめまいは、ドイツ出張を終えて、出発の朝にホテルで経験した。前日までの肉体的激務による疲れが原因だったと思う。何とか無事に帰国できたが、ずっと上を見たり下を見たりできず、頭を動かさないようにして、帰って来た。
二度目の激しいめまいは、50歳で某プロジェクトを任されて半年くらいたったときだった。仕事には自信のあった私が、初めてぶつかった困難さだった。このときは、病院へ行った。結局、肉体的な病気ではなく、精神的なものだと判明した。
今朝の激しいめまいは、人生三度目のものだと思われた。おそらく心身両方のストレスに耐えられなくなったのだ。
目の前に課題は山積している。しかし、それらを着実にこなしていけない状況が昨今だ。ボケ老人のくせに、やはり無理をしていたような気がする。
必死に電話して健診の予約はキャンセルし、あらためて再予約すると伝えた。そのまま昼過ぎまで寝ていたが、いっこうに症状は治らない。ワイフが雑炊を作ってくれたので、それをベッドで食べた。横にならず、頭を起こしたままで、じっとしていた。めまいの時は、頭を動かさないほうがいい。
その後、何とか起き出して、とりあえず書斎に入り、椅子に座ってじっとしていたが、元気は出てこない。
晩御飯の時刻になったので、今日、初めて階下へおり、ワイフから明日は病院に行った方がいいと言われたが、とにかく今夜は早めに就寝することにした。
8月20日(火)「めまいから立ち直る・・・の風さん」
未明に雨音で目が覚めた。もしかすると今月初めての雨かもしれない。音を立てているのは、雨粒が大きいからだ。風は吹いていないらしい。ずっと晴天が続けば、また庭木の水やりをしなければならない。もっと降れ、もっと降れと祈る思いだった。
体調不良でも、寝不足ではない。昨日からたっぷり寝ている。雨音を頼もしく聞きながら、ピンチの執筆の突破口(物語、ストーリー展開)を考えることにした。手はもちろん、全身を動かしながら(特にひんぱんに歩き回りながら)思考を促して執筆するタイプの私にとって、じっとしたままの、頭脳だけの執筆構想は苦手というか、ほとんどしたことがない。それでも、今は止むを得ない。材料はいちおうすべて用意してあるので、それらでどういったストーリーが作れるか、あれこれと考え続けた。
どんなに面白そうなストーリーを考えついても、「なぜ」という疑問を投げかけて、その答えが見つからないと、小説にはできない。フィクションでも、読者が疑問に思うような展開は許されないのだ。この「なぜ」のチェックを膨大な数こなした先に、私の小説は出来上がる。
小さくなった雨音の中にバイクの音が聞こえてきた。新聞配達のバイクだ。午前4時ころらしい。時計を見なくてもわかる。
やがて、ワイフが出かけて行った。普通なら駅まで送り迎えするのだが、今日はできない。駅近くの有料駐車場にとめるという。ご苦労様。
その後、病み上がりというより、とにかく仕事をしなければの強い想いで起き出して、気になることを一つ一つ、しかし超ゆっくりとこなしていった。
昼前には健診センターに電話して、健診の再予約をした。自分の今後のスケジュールから見て、どんなに早くても10月以降でないと危険に思われた。
気分をスカッとさせるため、直立したまま(めまい防止)シャワーを浴び、仙人のような髭を剃り、書斎へ入った。
来月予定しているセミナーの準備をすることにした。開催が既に決まっているので、遅くとも月末までにテキストや演習のデータを送らねばならない。しかし、ギリギリでは他のスケジュールに支障が出る。今週末までにほぼ完成させておくことにした。仕事量を推定しながら作業をした。3日かければできそうだった。
だんだん元気が出てきたので、執筆を再開した。今朝、ベッドの中であれこれ思考したことはムダでなかった。ほとんどが「なぜ」に対して良い回答ができなかったので、それ以外のストーリーを考えることから始まったからだ。
ワイフが帰宅し、晩御飯はしっかり食べられた。
その後、TOEICの模擬試験問題をやってみた。採点しながら、相変わらず知らない単語や語彙が多いことに愕然とする。しかし、もしかすると、記憶していないだけで、すべて過去に学んだものかもしれない。だとすると、これはもう私の頭脳の限界で、今後のチャレンジは無理ということになる。な〜んだ、ボケチェックを兼ねたTOEICか(笑)。
日付変更線をこえる前に就寝した。
8月21日(水)「めまいはおさまっている・・・の風さん」
昨日は恐る恐る起床し、頭を動かさないように注意しながら、懸案事項に少しずつ取り組んだ。今日はどうかと起床時は不安だったが、昨日よりずっといい。
ルーチン後、キャメロンで外出した。月例の業務で、本来は昨日やることだった。ATMを巡回し、すぐに帰って来た。
昼食も摂った。
書斎へ戻り、セミナーの準備をやっている時に電話が鳴った。姓名判断の南山誠林さんだった。10月に名古屋に来るから拙宅で会いたいということだった。幸いスケジュール的に問題ないので、OKした。その後の雑談が長かった(笑)。南山誠林さんの姓名判断は本当によく当たると思う。しかも、ポジティブなコメントが得られるので、多くの人は問題を解決し困難を乗り切り最終的にハッピーになる。そういった逸話は枚挙にいとまがないのだが、ボランティア的な要素が強く、ビジネスとしてはあまり成功していると言えない。まあ、世の中に貢献しているからいいのかもしれないが、社会からの評価はもっとあってよいだろう。
長電話で時間を食ったので、執筆の方へ移行した。昨日の続きで、スムーズに進んでいく。しかしこのスムーズ、論理的にスムーズなだけで、時間的にスムーズでないところが問題だ。晩御飯まで頑張ったが、目標のところまで到達できなかった。
めまいが再発することもなくここまで来られたのはよかった。
晩御飯後、昨日やったTOEICの模擬試験問題の後半の解答を勉強した。力不足を強く感じる。やはり語彙の問題がより鮮明になってきた。
8月22日(木)「ら、乱視が・・・の風さん」
ゆっくり起床し、ストレッチもフルメニューでやらず、そろそろと始動したが、めまいは大丈夫そうだった。
セミナーの準備は今日で終える予定だったので、それから着手した。事務局からのアドバイスにしたがって、前回の受講者の希望を反映するのだが、これが今回の受講者の希望に合致するかはわからない。しかし、何事も柔軟に変えながら最適地を探って行けば、的外れということは起きないだろう。
このセミナー資料の修正にけっこう時間がかかり、昼食後も続いた。だいたいできたところで今日はやめ、最終の編集は明日やることにした。
続いて、児童書の執筆の続きだ。何とか軌道にのってきたが、ペースが遅い。それに気付いたところで、緻密な文章の推敲をやめて、とにかく書き進めることにした。
晩御飯後はTOEICの準備だ。直前になって模擬試験問題をやって、本番に慣れようとしている。それは必要なことだが、その作業をしながら、相変わらず語彙の問題が目の前に出てくる。そして、次はスピードだ。本番ではこのスピードが非常に重要になる。昔からわかっていることだ。しかし、これも克服すべき不得意項目で、解決策を探っていない。当日は焦ることになりそうだ。
そんな一日の終わりに、とつぜん妙なことが起きた。PC画面で模擬試験問題をやっていたのだが、文字が小さいので読みづらいと、自慢のメガネを装着したら、かえって見えない! 恐ろしいことに左目だけで見ると、文章が二重に見える。自慢のメガネは病院で処方箋をもらって作ったものだ。特に乱視についてもしっかり盛り込んであった。これはどうしたことか。乱視だけ状況が変化したのだろうか。だとすれば、またレンズを作り変えなければならない。こんな時に・・・(涙)。
8月23日(金)「体力消耗・・・の風さん」
起床してすぐ、昨夜と同じPC画面を見たりして、乱視の具合を再チェックした。すると、昨夜みたいに2重に見えることはなかったので、一時的な目の疲労だったような気がした。それで、とりあえず今日急いでレンズの再制作をすることは中止した。やれやれ。本当にバタバタだぜ(^_^;)。
今日もめまいはなさそうだ。頑張るしかない。
午前中はセミナーの資料の準備で、とりあえず事務局へ送れるところまですべて作成できた。来週明けに、開催の再確認をしてから送付しよう。
その勢いで、次のセミナーの応募状況を問い合わせるメールを出した。これは午後返信が来たのだが、開催が危ぶまれる状況だった。ギリギリまで判断を延ばすそうだが、その時点で開催が決まると、1日で資料を作成して送付することになるので、来週から少しずつ準備していくことにした。これも懸念点になる。天はどこまでも私に試練をお与えになられる。やれやれ。どうも愚痴っぽいな。
昼食をしっかり摂ってから、児童書の執筆の続きを始めた。こちらも何とか作業が中断せずにやれているが、ペースは遅い。ピッチは上がらない。ああ〜、また愚痴だ。
執筆をしながら、並行して、名刺の補充印刷を試みた。並行して、というところが、自慢げな印象があるだろうが、はたして失敗した。必要数の2倍くらい印刷してしまった(笑)。年内のイベントすべてで使っても、半分くらいしか使わないだろう。コンテンツに変更が生じると困るが、はてさて、どうなることやら。
10月のパネルディスカッションの進め方をA4一枚にまとめることにした。明日、小野友五郎を伝えてゆく会の事務局やパネラーの何人かと会うので、意見交換するために必要だ。1時間くらいでちゃちゃっと作成しようと思ったが(アホか)、できずに、晩御飯の後も作業は続いた。
結局、印刷も含めてすべて終わった時は午前零時を過ぎていた。やばい。また貴重な体力を消耗してしまった。
8月24日(土)「東京とんぼ返り・・・の風さん」
第327回幕末史研究会を聴講するため、上京した。超多忙なので、とんぼ返りである。
最寄りの駅を9時19分発である。駅までワイフに送ってもらい、のぞみで品川に着くまで、英語の勉強をしていた。山手線で渋谷まで行き、そこから東急バスに乗り換えた。今回の開催場所は、東京農大の世田谷キャンパスである。立派なキャンパスだった。
ここが選ばれた理由は大きく2つある。今回は、榎本武揚、勝海舟、土方歳三のご子孫による公開討論のような形式だが、東京農大は榎本武揚が創始者なのである。こうなると、聴講者は通常の幕末史研究者や愛好家だけでなく、東京農大の同窓会関係も入って来る。広い会場が必要になるのだが、大学ならそれにふさわしい場所があるのだ。横井講堂が選ばれ、案の定、約260名の参加で満席となった。
約2時間の討論は、幕末史を、学問的というより、人間の視点で語ることになり、終始興味深い展開となった。
これは、10月の(私がコーディネートする)咸臨丸サミットとスタイルがきわめて似ている。そして、今日の登壇者や関係者、参加者の中に、咸臨丸サミットのパネラーが4人いることもあって、私や小野友五郎を伝えてゆく会のメンバーも参加することになったのだ。
今日の公開討論は高山みな子さん(勝海舟のご子孫)のコーディネートの巧みさもあって、すばらしい展開で、感動的だった。そして、驚くべきことに最後の落としどころも、私が考えている咸臨丸サミットの落としどころと一致していた。現在、たとえ切り口やスタートのテーマが違っていても、最後は、平和の大切さになるのだ。そういう緊迫した状況なのである。
そういったこともあり、昨夜考えたパネルディスカッションの進め方を渡しながら、協力をお願いすることができた。あと2か月あるので、意義あるサミットに仕立てていきたい。
東京は名古屋ほどの暑さは感じられなかった。雨の恐れもあったが、幸い、移動中に降られることはなく、帰りの新幹線に余裕で間に合った。名古屋からの名鉄が遅れが発生していたが、最寄りの駅に帰着したのは予定より数分遅れの午後11時ちょっと過ぎだった。
東京での出来事をワイフに報告し、さっさと就寝することにした。明日も朝は早い。
8月25日(日)「こんなはずでは・・・の風さん」
今朝は地域の防災訓練。メニューはとってもカンタン。8時半に防災無線で連絡が入る。我が家は防災ラジオも設置してあるので、屋内でも聞ける。
それを合図に、「無事ですカード」を玄関門扉にぶら下げる。本当に震災が発生した時は、これがぶら下がっていない家を優先的に担当者が確認することになる。訓練の場合は、防災意識の向上と、どれだけの住居が参加しているかのチェックとなる。続いて、最も近い避難場所へ行く。リハーサルだし、場所をしっかり認識することに役立つ。名前を記入して、参加賞のお茶をもらって帰宅する。
今日はトール教室(サロン)がないので、ワイフと朝食を摂ることになった。昨日、私が東京で買って来たパンもある。やっと国内の物価も先進国に近付いて来て、パンといえどそれなりの価格である。こういった物価以上の賃金に早くしないと、日本は戦争が起きる先に滅びるだろう。もちろん戦争など起こしても参加してもいけない。
キャメロンで出発した。実は、名古屋までTOEICの試験を受けに行くのである。1年近い英語の勉強の成果を確認できるので、私は楽しみだった。
ちょうど10年前、雇用保険をもらうため、就職活動の一環でTOEICを受けてみた。そのときも10年ぶりくらいに間隔があいていたが、過去最高点がとれた。今回も10年の間隔だが、ここ1年、それなりに努力してきたので、きっと過去最高の点数がとれるだろうと思っていた。
電車と地下鉄を乗り継いで、試験会場の私立大学へ行った。昨日に続いて訪れる大学のキャンパスはとても気分が高揚する。ここまでワイヤレスイヤホンで英語も聞いていて、調子は悪くないと思っていた。
ところが、ところがである。始まって早々、「まるでわからん」状態に陥った。後半のリーディングになっても、知らない単語はほとんどないが、設問の解答の選択肢の中に正解が容易に見つからない。いったいどうなっているのか。やはりボケてしまったのか。原因がわからない。約1年間勉強した成果が感じられないまま、試験時間の2時間が過ぎた。これでは過去最低の成績かもしれない。結果を見る楽しみがなくなったどころ、知りたくもないと思った。
帰宅しても、敗北感から立ち直れなかった。こんなはずではなかった。
8月26日(月)「停電対応訓練・・・の風さん」
起床後、ぶら下がり(自作した)ストレッチだけして階下へおりた。
キッチンの床にアシダカグモの死骸があった。足がとれたバラバラ死体だ。先週、ワイフが玄関の掃除をしたとき、箒について外から入ってしまったという。屋内に入ったが最後、脱出用の隙間はほとんどない(私が退社後何年もかけてふさいだから)。特に大型のアシダカグモには脱出は無理だった。見つけたら、捕まえて屋外に逃がすのが我が家のしきたりだが、その後、姿はほとんど見なかった。
死骸の様子から、どうやらサラちゃんが狩りをしたらしい。可哀そうなアシダカグモ。屋外特に床下にいて、侵入してきたゴキをやっつけてくれる頼もしい軍曹だ。
ワイフが庭の土の中に埋葬してくれた。南無阿弥陀仏。
午後、キャメロンで外出し、週末の旅行の時持って行くお土産を買って来た。ついでにGSにも寄って満タン(と言っても11L)給油した。
週末の旅行では台風の後を追いかける予定だったが、日本の南の海上でウロウロしている。この分だと、台風と一緒にキャメロンで移動することになりそうだ。
台風のせいだけでなく、日本列島は大気が不安定で、局地的な豪雨が発生している。当地は、夕方から雨が降り出し、夜になって雷も鳴り出した。
停電するかも、とワイフが言った直後、本当に停電した。防災ラジオが即電池モードになり、ライトが点灯した。
充電電池の照明器具はたくさんあるので、リビングに集めると、明るさは十分確保できた。
インターネットも切れたが、すぐにモバイルWi-Fiに切り替えることができた。
停電は短時間で解消し、ちょっとした停電対応の訓練ができた。また充電しておかなくちゃ。
8月27日(火)「台風考・・・の風さん」
大型の台風10号が人々を困らせるように困らせるように動いている。現在は、九州の南でのろのろしながら勢力を蓄えている感じだ。私の週末をはさんだ旅行計画を邪魔しようとしている。
こまごました雑務は後回しにして、重要なことだけ必死に取り組んでいる。とは言え、合間合間にルーチンもはさまないと気は休まらない。
午前中は執筆。インスタントラーメンの昼食後、キャメロンでドラッグストアを往復した。天気は好い。サラちゃんのおやつが重要な買い物で、30分で往復できた。
来週の後半にオンラインセミナーがある。その資料を事務局へ送付した。ファイル容量は大きいが無事に届いて安心した。あと、接続確認を今週にやるとのことだった。
夕方まで執筆をおこない、続いて、再来週に予定されている別のオンラインセミナーの資料作成をした。こちらは初めて構成するので、新規資料もある。開催可否判断は来週だが、開催と決まったら作成時間に余裕がないので、ある程度作成しておかなければならない。
晩御飯までそのセミナー資料作成をおこなった。
晩御飯後は、メールの返信をいくつかしたが、しっかり書くだけの時間はなかったので、とりあえずひと言だけ。週末の会合の予定もほぼ決まった。問題はやはり台風だ。移動中だけでもおとなしくしていてほしいが、こういう願いはたいていかなえられない。自然災害とは「まさか」とか「こんなときに」という状況で起きる。特に、近年はそうだ。地球が人間に怒っているからだろう。
8月28日(水)「第一稿ができた!・・・の風さん」
台風の動きはのろいが、先の予測が難しいようだ。とにかく、今はノロノロ状態なので、少しでも勢力が衰えていくことを祈るしかない。
当地は今のところおとなしい天気である。私はひたすらミッションをこなしていくだけ。
午前中に、 hairdye を強行した。洗い流したあと、インスタントラーメンで昼食。キャメロンからナビを外してきて、充電開始。明日、書斎で目的地をすべて入力する。
今日も執筆が最優先で、何とか今日中に最後までたどり着く覚悟だ。そうすれば、明日中にエージェントに送れて、週明けの打ち合わせが意味をもつ。
執筆のペースを維持するため、途中で色々なミッションもミックスする。夕方から、再来週の不確定セミナーの資料作りを始めた。これは完成させるまで仕事量がハンパでないので、とにかく少しでもやっておく。そして、この作業は旅行中も継続するだろう。たいしてできないにしても、テンションは維持できるはず。
晩御飯後、執筆にもどった。あと少しだが、とつぜんペースアップできるはずはなく、マイペースで着実にやっていく。
とうとう最後の場面にたどり着いた。最後の最後の終わり方は決めてなかったが、その流れで、静かに終わらせることにした。
第一稿がやっとできた。まだ午前零時前。明日、形を整えて送付することにする。
久々の達成感。現在の台風10号のようにノロノロだが、とにかくゴールできた。まだ、やれるぞ、きっと。
8月29日(木)「台風の影響は?・・・の風さん」
今朝、台風10号は鹿児島県に上陸した。今後、ゆっくり北上し、途中から東へ向きを変え、日本列島を縦断すると見られている。
きわめて大型なので、台風の中心部から遠い、東日本の各地で激しい雨が局地的に降っている。航空便や新幹線は影響を受けて、かなりの運休が出る。
私は明日から4泊5日の長旅にキャメロンで出る。もちろん、こんな天気は想定していなかった。旅行期間が長いことでもわかるように、スケジュールはてんこもりだ。
明日は先ず都内に入るのだが、新東名や東名が影響を受けて通行止めとなると、予定は大きく狂ってしまう。通行止め区間が短ければ、一般道を迂回する手もあるが、長ければ、時間がかかってたどり着けない。雨の影響は高速道も一般道も関係ない。むしろ冠水する一般道の方が危険かもしれない。
そんな心配事が頭の中をぐるぐる回っている中、今日も、さまざまな仕事をこなした。
午前中には、来週のオンラインセミナーのための接続確認もおこなった。色々とチェックできてよかった。
午後まっさきにやったことは、充電したナビを書斎で立ち上げ、訪問先をすべて登録したことだ。あと、スケジュールもしっかり入力したので、ひと安心。
宿題のようなアイテムがいくつかあり、出発前にやっておきたかったので、頑張ってこなした。
持参する拙著も用意した。サインしてなかった数冊にサインもした。売れるかどうかは、毎回のことだが、予想ができない。
留守宅のためには、数日前の停電訓練の結果を活かして、充電できるものはどんどん充電しておいた。
もし出かけなればやることになる仕事も、USBメモリに入れて、MacBookAirと一緒に持って行く。ホテルで少しでもやっておかねばならない。
運よくあちこちを回れても、風雨で苦しむ恐れは高い。キャメロンで行くメリットとして、長靴とか持って行こうと思う(笑)。
注)出かけている間(8月30日〜9月2日)は、気まぐれ日記の更新はできません。
8月30日(金)「おかしな通行止め・・・の風さん」
やや睡眠不足だったが、無理やり起床。外は明るく、台風の影響はほとんど見られない。
自分の計画より30分遅れで出発。台風対策として、大きな傘だけでなく、長靴とトレッキング用シューズもキャメロンに載せた。
知多半島道路から新名神に入ったところで、新東名も東名も通行止めが静岡県内であることが判明。国道1号線で迂回しやすい東名を走ることにした。岡崎と豊川で雨が降っていたが、それ以外は台風の影響が全く感じられなかった。
焼津から清水の間が通行止めで、そこへ近づいても天気は好い。スマホのアプリ「みちラジ」で、焼津の手前が渋滞7km、60分とアナウンスがあったので、手前の吉田で降りた。ナビの目的地を清水インター入口にしルートも一般道に設定した。約40km。国道1号線は、反対車線もトラックでいっぱい。清水で降りてきたのだろう。それにしても日差しは強く、道路は乾燥している。暑い暑い。通行止めに決めたやつに対する恨み節が口をつく。約1時間半の迂回走行はきつかった。
東名に戻ってやっと昼食。安い天丼だが、私にとっては贅沢な食事だった。
神奈川県に入って突然大雨になった。通行止めにしてもいいくらいだった。さっきの通行止めに対する怒りが再燃した。
東京に入ると、小雨だったが、交通量がべらぼうに増えた。自然渋滞が何度も発生する。
川崎で降りて、今夜の安宿へ向かった(都内は高くなってしまったので)。
午後5時に着いた。荷物を置いてすぐ電車(多摩湖線・国分寺乗り換え)で新宿へ。7時からの打ち合わせに間に合った。
ホテルに戻ったのは11時過ぎ。屋外は蒸し暑くてつらかったが、安宿でもエアコンがあるので、生き返る気分だ。
8月31日(土)「和算研究会は充実した内容・・・の風さん」
300円の和朝食を摂り、昨夜できなかった仕事をして、安宿をチェックアウトする時、中国人の若い男性宿泊者二人が出かけて行った。ホテルマンによると急に連泊になったとのこと。彼らは観光客で、台風のせいで次の目的地へ行けなくなったのかもしれない。
全国和算研究大会の開催地、埼玉県加須市へ向かった。70kmあったが、天気もよく、半分くらい高速道だったので楽だった。到着し、昼食は近所の中華料理屋で肉入り野菜炒め定食を摂った。元気を出さねばならない。
参加受付をすると、やはり台風のせいで参加を諦めた人が10人以上いたとのこと。
それでも、内容は充実していて、会場での算額展示や市民講座に加えて、新たにポスターセッションまであった。事務局のご努力には頭が下がる。
今回、小野友五郎を伝えてゆく会の副会長が初参加になったので、次々に関係者に紹介しつつ、副会長からも10月の咸臨丸サミットのPRをやってもらった。子孫の方たちが壇上でトークを行うことには意外なほど反響があった。もっともっと盛り上げる方法を考えていきたい。
研究会が終わって、外へ出ると雨が降っていた。台風10号の影響は決してなくなっていない。
ホテルのチェックイン後、懇親会に参加して、交流を深めたが、知らない話が色々と出てくるので勉強になる。
2024年9月はここ
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